「楽」を極めるシンプルライフ

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「初」断捨離体験記

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一人暮らし。男。イケメン(になりたかった…)。いつものように家に帰ると、脱ぎっぱなしの服、何年も手を付けていない資格の本、ゴミ袋から飛び出たティッシュ、もはや用途も不明な雑貨類の数々。。。おまけに、いつから一緒に暮らしているんだろう、名前もわからないような小さな虫もいる。僕は一人暮らしのはずなんだが、ここに住むなら家賃ぐらい払ってほしいもんだ。
本来、家というのはホッと落ち着ける安らぎの空間のはずなんだが、何かがおかしい。歩くたびに足にモノが当たる。捨ててもいいはずなのに、なぜか捨てられない。こんなはずじゃなかった。一人暮らしを始めた当初は、インテリア雑誌に出てくるようなオシャレな部屋にしたいと思ってたのに、これじゃまるで物置だ。僕は今、物置に住んでいる。
これではいけない。理想とは真逆の生活だ。部屋の棚や引き出しに、床に置いてあるあらゆるものを詰め込んだ。限りあるスペースの中に、無理矢理モノを押し込んだんだ。しばらくして部屋を見渡してみると、以前より広く感じられた。モノが見えなくなっただけで、案外スッキリするもんだ。これでオシャレな部屋になる。当時の僕は、そう思っていた。

一週間後、ふと部屋を見渡してみる。すると、なんと一週間前の物置部屋に戻っているではないか!まるでタイムスリップしたかのように、部屋は以前と変わらずモノで溢れかえっていた。なぜだろう。普通に生活していただけなのに、なぜこうも散らかってしまうのか。僕以外の誰かが、勝手に部屋に忍び込んで散らかしているのではないか?そうじゃない。部屋を散らかしていたのは、まぎれもない僕自身だ。

何か必要なモノを取り出すとき、引き出しを開けて大量のモノの中から探し出す。引き出しの中の多くのガラクタをかき分けて、やっとの思いで取り出すのだ。毎回こんなことをしているものだから、モノを元の位置に戻したくなくなる。なぜなら、またそれが必要になる度にガラクタをかき分ける作業をしなければならくなるからだ。僕は無意識のうちに、出したら出しっぱなし、使ったら使いっぱなしの習慣が身に付いていた。やはりモノを無理矢理引き出しに押し込んだだけじゃ、根本的な解決にはならない。この状況を打開する、革命的なことをやる必要がある。

毎回何かを取り出す度に、ストレスがたまる。目的のモノが見つからない。あそこにあったハズなんだけど、おかしいなぁ。こんな経験を、僕は今まで何度やらかしてきただろうか。もうたくさんだ。モノなんていらない。第一、一人暮らしのただの男に必要なモノなんてそんなにない。それなのに、いつか使うかもとか、せっかく買ったものだしとか、そんな風に言い訳にしてたからこんな有様になったんだ。モノをため込んできたツケが、ここにきて一気に押し寄せている。ツケは払わないといけない。小さい頃からモノをため続け、引越しをして一人暮らしするときも、必要だからといって大量のモノを実家から引き連れてきた。その30年分のツケがたまっているんだ。そのとき僕は決心した。捨てよう。本当はいらないモノを。自分にとって本当に必要なモノなんて、実は少ないんだ。改めて荒れ果てた自分の部屋を見渡し、僕は大きなゴミ袋を手に取った。

まずは確実にいらないモノを捨てていこう。目に見えて明らかにゴミとわかるものは、どんどん捨てられる。レシートや汚い紙切れ、ペットボトル、壊れた洗濯ばさみ…ゴミを捨てるのは簡単だ。ある程度ゴミを捨てたら、突然手が止まった。もう捨てるものがない。モノはまだまだ大量にあるのに、捨てるものが見つからないのだ。このとき僕は、現在の自分にとって本当に必要なモノと、本当は必要じゃないものの区別ができていなかった。

明らかにゴミとわかるものは、すぐに捨てられる。だが、それ以外のモノは、いろんな思考が邪魔をして捨てられない。「これを捨てたらまずいことになるかも。」「これはとりあえずとっておいて様子を見よう。」「捨てると近い将来困ることになるかもしれない。」「高かったから、捨てるのは惜しい。」「思い出のものだから、大切にしまっておこう。」いろんな思考が邪魔をして、捨てようとする手を止まらせる。捨てるのも自分だが、それを阻むのも自分だ。

モノを取捨選別するということは、自分自身との対話に他ならない。自分とモノとが向き合う。モノを通して語りかけてくる思考に対し、自分がどう答えるか。自分の部屋にあるモノを捨てる作業は、その繰り返しだ。僕はそのとき、自分自身に語りかけてくる思考に対して答えることができなかった。語りかけてくる思考に対し、自分の意思を示し決断することを放棄した。自分が出した答えが間違ってたら、誰だって嫌だ。モノを手放して、いつか後悔してしまうときがきたらがっかりする。「ほら言わんこっちゃない。おまえの決断は間違ってただろ?」モノの中にひそむ思考が、したり顔でそんなことを言うだろう。僕の30年分のツケは、精算するにはまだまだ骨が折れそうだ。

しかしながら、以前の部屋に比べたら今の部屋は幾分マシだ。0が1になっただけでも大きな進歩だろう。課題は山積みだが、とにかく最初の一歩を踏み出せたことはよかったように思う。こうして僕の最初のチャレンジは幕を閉じた。