「楽」を極めるシンプルライフ

ズボラで気楽なシンプルライフを目指すブログです。

自由の刑

人はいろんな物事、様々な事情に縛られています。
外面的な要因や内面的な要因などありますが、多くの人はあまり自由を感じられないのかもしれません。

しかし、人は生まれながらに自由であるようにも思います。
右へ行こうが左へ行こうがその人の自由。
お昼ご飯にさんま定食を食べようが、玉子焼き定食を食べようが自由です。
もちろん、昼ご飯を食べないという選択肢もあります。

仕事に行くのも自由です。
仕事をサボると会社に迷惑がかかりますが、それでもなお、会社に行くかどうかは自分で決めることができます。
会社をサボることにより、上司があなたに対して怒るのも上司の自由、それを受けて反省するもしないもあなたの自由です。
人は案外、自分で自分を縛り付けているだけなのかもしれませんね。

人生は、自由度が高すぎるゲームだと思います。
魔王を倒すという目的もありませんし、海賊王になるという使命もありません。
どこで暮らそうが、何の職に就こうが、どんな服を着ようが自由です。
しかし「人生」という自由すぎるゲームにおいて、人生の目的は存在しません。
あらかじめゲームの製作者が決めておいてくれているものではなく、自分で決めていいのです。

一見ありがたくもありますが、それでは困る人も出てきます。
何もやりたいことがなく、人生の意味を見出せない人にとっては、なんとも言い難い絶望感が襲い掛かります。
「オレは何のために生きているんだろう」
ゲームの製作者が、その大事な目的を設定し忘れてしまっているので、主人公は勇者ではなく、ただのニートに成り下がります。

まるで刑務所です。
人生最期の日を迎えるまで、地球という刑務所の中で暮らしているのです。

人は自由の刑に処せられています。

人生とは、なんと救いがないものなんだと悲観してしまうでしょう。
しかし、そんなことはありません。
今この瞬間を、じっくりと味わって生きていけばいいだけです。

価値がある人生。価値のない人生。
そもそも価値なんていう概念は、人間が作り上げたものにすぎません。
誇りをもっていきようが、ただなんとなく生きようが、そんなことはどうでもいいことだと思いませんか?